日本で生きる技術と精神

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ローラン・ジョアンは1915年、自動車レースで有名なフランスのル・マン近郊で誕生します。13歳のとき、パン職人として修行を初め、16歳の時にパリ旧13区プラス・ナシオナルで約7年間見習い期間を過ごしました。1942年にパリのモンパルナスに一号店を開業。そこで25年間経た後、1971年からダム・ブランシェにお店を開きます。その後、日本にフランスパンを初めて紹介したレイモン・カルヴェル名誉教授の紹介により、1983年、銀座三越に日本初の『ジョアン』がオープンしました。

ローラン・ジョアンは1998年にパン作り一筋の人生を終え、パリっ子に56年もの間親しまれた店を閉店。しかし、ローラン・ジョアンの技術と精神は日本のジョアンで今も受け継がれています。

フランスジョアン店

パン屋の朝は早く、営業していた当時、ジョアンのお店の厨房は深夜3時からスタートしていました。
平均して1日1,000kg(本数に換算して3,000本)を焼くのだから大変!ボンガード(仏製パンオーブン)を2台備えて、仲間4人で毎日この量をこなしていました。早朝7時過ぎには朝一番で焼けたパンを店頭へと運んでいきます。

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※現在パリにお店はありません

ジョアンの店にはその頃には朝食のパンを買い求めるお客様で立て込み始めます。まさに“夜明けの職人”と言われる言葉の通りでした。 長男ジルベルは菓子、次男のリュックはパン、長女アニーは販売担当というようにジョアンファミリーで運営していました。

1983年5月31日 銀座三越店ジョアン店オープン

ジョアンの日本第一号店が銀座三越にできたのは1983年5月31日。フランス国立製粉・製パン学校名誉教授レイモン・カルヴェル氏に提携のできる、いいお店はないかと相談。条件は「いいパンを作っていること」「パリに店があること」「日本人にも覚えやすい名前であること」「オーナーの人柄がいいこと」

それが、パリ郊外の『ローラン・ジョアン』でした。
当時、バゲットの価格統制がしかれて劣悪なパンも散見されるフランスにあって、ジョアンは実に誠実な仕事をしていました。その上「ジョアン」という名前も覚えやすいし、ロゴに使われているフランス伝統色の濃いグリーンも斬新。オーナーのジョアン氏も純粋そのもの。提携話はとんとん拍子にまとまりました。

そして、日本のジョアン1号店がオープン。常にできたてのパンを並べる「インストアベーカリー」は当時としては画期的でした。
キャッチフレーズは「ジョアンが創る世界のパン」
フランスだけにこだわらず、世界の代表的な食事パンが揃う店を目指しました。

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現在、北海道から九州まで日本全国に14店のジョアンがあります。美味しいパンをお客様にお届けできるよう、技術スタッフは技に磨きをかけ、愛情を持ってパンを作り続けています。

ジョアン現象

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銀座のあちらこちらでジョアンのグリーンの袋をよく見かけるようになったのはオープンして3年が経つ頃。それはジョアンがメニューを200種類に増やした時期でした。
豊富なメニューがパン好きな人達にとって新鮮に映ったようでした。ジョアンのフランス伝統色の濃いグリーンの袋は日本のジョアンのオリジナル。
お客様の中には「袋だけもう1枚下さい」という方も…。

ジョアンとドンクの関係

神戸にて創業したドンクがローラン・ジョアン氏とともに立ち上げたブランド、それがジョアンです。

ドンクのウェブサイトはこちら